「片づけ」の視点を変える
基地にする空き家を片づけ中です。
とにかくものが多い
処分するものが多い
あと
この家にあるモノたちは、この家の人たちがいるときも、いなくなってからも、ここでずっと見守ってきたんだな…なんて考えだしたら、もう進まない。
他人の家を片づけていてそうなので、自分の実家を片づけるというのは相当難しいことなんだと思います。
世帯ごとに新しい家やマンションを持ち、家が住み継がれることが少なくなった昨今
住む人がいなくなって片づけが必要だけど、量も気持ちも、自分たちだけでは到底無理
ということで、片づけ業者さんへお願いしたり、最近は「遺品整理士」なる職業もあるほど。
一方、我が家の場合
私の祖父母は高齢の二人暮らし
最近「形見分けだ」といって、家族に色々なものを分けたり、蔵に眠る要らないものを燃やしたり捨てたりし始めました。
たまに一緒に作業をしながら、家族や家の思い出話を聞きます。
物が多すぎて到底終わりが見えないペースだし、形見なんてさびしいこと言わないでとも思いますが、すごく大切なことをしてくれてるんだな、と、ふと思いました。
人が住まなくなって何とかしようとするから「空き家対策」
生きてるうちに一緒に手を動かして話をしていれば「いい思い出」
しているのは同じ「片づけ」ですが、大きな差がある。
視点を変えるだけで、気持ちも負担も全く違うものになるかもしれませんね。